私が私であるために

私が私であること-その1つは、アニマル・ヒーラーとしての側面です。 アニマル・コミュニケーターとして日々の学びや気づきを綴っています。

愛しい我が息子(シーズーのちろる)から、日々、たくさんの愛情と癒しと気づきをもらっています。
そのお返しとして、動物と人間とのかけ橋になれたら・・・と思っています。

ペットの問題行動について考える

人の言う「問題行動」って
果たして問題行動といえるのだろうか?

なぜなら
動物にとって当たり前の行動であって
彼らにとって問題行動を起こしているという意識はない。


以前
触ろうとすると、噛んだり唸ったりするワンコの気持ちを
聞いて欲しいという依頼を受けた事がある。

その依頼をされた方は
その事が問題で困っているという理由で依頼された訳ではなく
その子は重度の皮膚病で
自分たちに何かしてもらいたい事があるのだろうか
という、思いやりに基づく依頼であった。

その中で
触ろうとすると噛んだり、唸ったりするという話を聞いた。
散歩に行く際に、リードをつける時でも、噛む時があるそうだ。

触ろうとすると、その子が噛んだり唸ったりする理由は3つ。

第1には
飼い主さんご自身も認識のあったように
皮膚病で触られると痛い事。

第2には
その子は触られる事自体が好きではない事。
ただ、体の全個所について触られるのが苦手な訳ではなく
唯一、あごの下だけは触られても大丈夫なのだそう。

第3には
散歩を行く時に、リードをつける理由を理解できていない事。
家にいる時には、ノーリードだから余計に分からなかったのかもしれない。
だから、その子はノーリードの方がいいし
何故リードをつけなきゃならないの?と私に質問してきた。

でも
犬を苦手に思ったり、怖いと思っている人もいる中で
人間社会で共に生活していくためには
安心材料としてリードが必要である事を
その子に伝えた所
納得してくれたみたいだった。


さて、その後-


依頼者の方から頂いたメールによると
それまでハーネスをつける時には逃げていて
さらに
背中に皮膚炎が出来てからは、ハーネス自体もさせてくれなかったのが
多少いやいやではあるけれど
素直にハーネスをさせてくれるようになったそうだ。

この子のように
人間社会で共に暮らしていくためのルールを理解していない子は
割と多いように思う。

他の子の場合
人間社会でのルールを理解しているからだけではなく
飼い主さんとの触れ合いが楽しかったり
飼い主さんが喜ぶ姿を見て嬉しかったりするから
飼い主さんに従っている場合が多い。
※もちろん、全てがそうではない。

この子の場合は
皮膚病の影響で、触られるのが痛い事と
元々触られる事そのものが苦手だった事もあり
(さらに言えば、人とべったりするのがあまり好きではない)
飼い主さんの指示に従わなかった。
つまり、リードをつけようとすると
噛んだり、唸ったりしていた。


ところで
毎年、どれだけの犬猫、その他のペットといわれるコンパニオン・アニマルたちが
捨てられ、殺されていっているのか・・・

その理由は
様々な理由で「飼えなくなったから」なのだが
一度、家族として迎えいれた限り
最後まで愛情もって育てていってほしい。
家族として光の国へ旅立たせてほしい。

そして
動物が問題行動を起こして困り果てたから
捨てるなんて
そんな無責任な事は決してしないで。

だって
そんな問題行動を引き起こしたのは
彼ら自身ではなく
飼い主さんなのだから。

だから捨てる前に
トレーナーさんにでもいいし
私のようなアニマル・カウンセラーにでもいいから
どうぞ早めに相談して。

でも・・・
こうやって相談してくれる人って
そもそも捨てるなんて考えていない人だよね・・・

動物を安易に捨てる人に
私の思いも
彼らの気持ちも届くのかな。

どんなに彼らが
自分を迎えてもらった家族の事を大切に思っているかを。











自分の輝ける場所

人にはそれぞれ才能があると思う。

では
才能がなかったら、芽が出ないのか?
というと、決してそうではない。

「努力」を重ねる事によって
その才能は開花する。

というより
そもそも、その「努力」する
つまり継続する「根気」こそが
すでに才能なのだと思う。

もしかしたら、その才能は
自分が期待しているものとは違うかもしれない。
他の誰かを見て
あんな才能が欲しいと願うかもしれないけれど
自分には、自分の才能がある。

才能というと分かりにくければ
得意なもの
無理せずにできる事
努力を努力と思わずに出来る事
と言ったらイメージできるだろうか・・・

私は、話すのが得意ではない。
お笑い芸人さんのように
普通の話でも、面白く広げる事も苦手だし
政治家のように
人を魅了するように話もできない。

過去には、そんな自分が嫌で
なんとかしようと、話し方教室に通った事もある。
(今思えば、私が求めていたのは
たぶん「話し方教室」よりも
「NSC」とか「ディベート」とかの方が必要だったような・・・

でも、そもそも、
人が提供してくれている面白さを楽しむのは大好きだが
自分が面白くしようというのは
私には苦痛のようだ。

一方
「一緒にいて落ち着く」と言われた事はある。

私も、相手の話を聞いて
その話からキャッチボールするのは、全く苦痛ではないし
むしろ楽だ。
(ごめんなさい・・・話題にもよるんだけど)

だから、私は
面白くなろうというのは止めた。
相手を和ましたり、包み込むような
そんな癒しの人になろうと方向転換した。



誰でも必ず
宇宙からのプレゼントとして「才能」を受け取っている。

もし、今光っていなくても
それは力を注ぐ場所が違うだけなのかもしれない。

【ちろるの一言】
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 ぼくは、こうやって遊ぶのが輝けるんだあ

水のように

水は
高き所から低き所に流れる。

水は
柔らかでもありながら、同時に岩をも砕く力強さもある。

水は
たくさんある所には流れ出て、足りない所には満ちる。

水は
育み育てる事もできる。

大きな視点から見て、流れに任せ
芯を持ちつつ、同時に柔軟性を持ち
溜め込むのではなく流す(循環させる)・・・
そして、命あるものを大切にする。
そんな人間でいたい。

【ちろるの一言】
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 流れに任せたら、おもちゃを見つけたんだ♪





シンプルに生きる

人生とは本来シンプルなものだと思う。
案外、自分が複雑にしているような気がする。

やりたいか、やりたくないか
楽しいか、楽しくないか
嬉しいか、嬉しくないか・・・

ただ、それだけなのに
自分が自分の価値観やルール、法則に基づいて
「~しなければならない」事を作っている気がする。

「いや、現実には、やらなければならない事ってあるの
っていう意見もあると思う。
確かにやらなければならない事って
存在するともいえるし
究極的には存在しないともいえる。

でも、その議論は本筋から外れてしまうし
それが悪いと言っている訳でもないので
ここでは、やらなくてもいい、どちらでもいい事について述べているという事にしておく。

人間関係も同じ。

その相手と仲良くしたいか、
一緒にいたいか、
繋がっていたいか・・・

相手がある事だから、
どんなに、こちらが仲良くしたいと切望しても
相手の方がご遠慮願いたいと思う場合もある。
残念だけど、ただの一方通行だ。

でも、当然逆の場合もある訳だし
自分が自由であるように
相手も自由であっていい。

それに、人とのご縁も波長・エネルギーなので
同じ・似ている波長の人とは
無理しなくても、自然と親しくなるものだ。

もちろん、時の流れとともに
波長が変化すると
今親しくしている相手とお別れする事もあるし
今は縁のない相手と仲良くなる事もある。

『アグリーベティ』という
アメリカのホームドラマがある。
笑いもあり、涙もあるメッセージ性のあるドラマで私のお気に入りだ。

その中で
策略家の魔性女が
「無理して人に合わせて、人に好かれる位なら、自分の好きな事をやって、嫌われる方がよっぽどマシ。」
というような発言がある。

極論だろうし
平和主義で、みんなと仲良くしたい私には
そんな逞しさはない。

だが、ストレスを感じない、一種真理をついているなあと
すごく心に残った。

友達でも、恋人でも、夫婦でも
自分がただ繋がっていたいと
例えば、執着だったり、見栄だったり、損得だったり、
こう思われたい(あるいは、こう思われたくない)云々といった
エゴによる一瞬の感情・感覚ではなく
魂として、そう思うならば
繋がっていればいいし
繋がろうと努力する事は大切だ。

魂が喜ぶかどうか
ただそれだけだと思う。

シンプルに生きていくと、すごく軽く生きられるような気がする。

【ちろるの一言】
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 ハートに従って生きるのを忘れないで。
 ぼくが思い出させてあげる

後悔について考える

人は選択の連続だ。
意識していようと、していまいと。

進学する、しない
就職する、しない
結婚する、しない
出産する、しない等々・・・

大きな選択の時は
自分が選択している意識があるけれど
○時に起きる、起きない
××を食べる、食べない
○○を見る、見ないなんて
選択している意識はなくて、惰性だったり、習慣だったり、無意識だったり・・・

でも、そんな小さな事でも
選択の連続で、今の自分・人生を形作っている。

さて
大きな選択をする時って
自分の中では、その時の最善を選択しているはずだ。

にもかかわらず
自分が思い描いていた結果を導き出せない事もある。

それは残念だけど
その結果が、自分の魂の成長上
必要で必然で、最善な結果なのだ。

それでも
頭では理解してしても
どうしても後悔する時ってある。
その時選択しなかった側を選んでいたらどうだったんだろう・・・って。

でも、選択しなかった側を選択していたら・・・なんて
後から考えてみても、どうしようもない。
単なる妄想に過ぎない。
だって現実に選択していないのだから。
選択しなかったもう一方を選んだとしても、
それが自分の望む結果にたどり着けたか、そんな保障もない。

選択しなかったもう一方が
正しい答え(自分の望む結果)だったのか
それを確かめる方法は、いつも、絶対にない。

ならば
過去の時点に留まっていても仕方がない。
後悔するのを止めて
「今」の結果を見つめて
「今」の自分に必要な事を考えたり、学んだりする事が最善なのだと思う。

【ちろるの一言】

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ぼくは、どのおもちゃで遊ぶのが一番か、選択している♪


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